茶太郎こと店主の私は、静岡で4年、仙台で2年ほど丁稚奉公の後、家業に就きました。
江刺一、お茶箱の担ぎ方がうまいと自負しています。
他に自慢なし(キッパリ)。
その昔の丁稚奉公時代のオハナシを少しさせてください。
『一大決心』
いまを去る46年前、一大決心をした茶太郎はお茶修行のため静岡に行くことになりました。4月のよく晴れた朝、はじめて世に出る不安を胸に水沢駅を出発したのであります。
目指すは静岡駅から歩いて15分ほどの㈱佐◯商店です。住宅街が続く中、「本当にこっちでいいの?」などと歩いていると、芳ばしい香りがしてきました。これは後で知ったのですが、お茶を乾燥する香りだったのです。これってまさに癒やしの香り。
鼻の穴を広げながら更に進むと、おお!ありました㈱佐◯商店。
『制服支給』
挨拶もそこそこに、差し出されたのは「静岡茶」「香味絶佳」と書かれた帆前掛けと、洗いざらした足袋と草履。さらに手拭い。
へっ?なんですかこれは?これを着ろという。たしかに制服支給と聞いたけどコレか?チョッピリがっかりした茶太郎でしたが、「コレも修行」と気を取り直しました。
早速お茶工場に案内されました。茶工場は昔の分校の講堂といった古色蒼然とした建物で、小さなモーターでベルトをまわし機械を動かしていました。ガッチャンコ-、ガッチャンコ-とうなりを上げる中、社員の皆さんに紹介されましたが、機械の音にかき消されないようドナリ声での自己紹介でした。
『茶工場の正装』
男性社員の服装は、作業服に頭は手拭い、前掛けに足袋に草履。
女性は手拭いを姉さんかぶり、かすりの着物、モンペに前掛け、足袋と草履。コレが昭和47年頃の静岡における茶工場の正装なのです。
この日から茶太郎の修行が始まるのですが、その晩から新たなカルチャーショックが茶太郎を待っていたのだった。
続く(予定)